2007年 03月 13日
『The Long Goodbye』 |
レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』(清水俊二訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)は、ずっと以前に買って、何度も挑戦して、やっぱりダメだった1冊でした。
けれど、この間ふと手にとって、そうして読んでみました。再チャレンジ。
で、今回は無事読了。
読書ってタイミングだなぁと、つくづく思います。
ちなみに夫はこの作品が好きで、何度も読んだそうです。
フィリップ・マーロウの一般的なイメージは、トレンチの襟を立て、ソフト帽をかぶって、目を細めてタバコの煙をくゆらす、タフでハードな私立探偵…なぁんてステレオタイプなのかもしれませんが、実は情に厚い人なのです。
「ぼくはロマンティックな人間なんだ、バーニー。暗い夜に泣いている声を聞くと、なんだろうと見に行く。そんなことをしていては金にならない。気がきいた人間なら、窓を閉めて、テレビの音を大きくしておくよ。あるいは、車にスピードをかけて遠くへ行ってしまう。他人がどんなに困ろうと、首をつっこまない。首をつっこめば、つまらないぬれぎぬを着るだけだ。テリー・レノックスと最後に会ったとき、われわれはぼくの家でぼくがつくったコーヒーをいっしょに飲み、タバコを吸った。だから、彼が死んだと聞いたとき、台所へ行って、コーヒーをわかし、彼にも一杯注いで、タバコに火をつけてカップのそばにおき、コーヒーが冷めて、タバコが燃えつきると、彼におやすみをいった。こんなことをしていて、金になるはずはないんだ。君ならこんなことしないだろう。だから、君はりっぱな警官になっていて、ぼくは私立探偵になってるんだ。」(P349~350)
ちょっと長くなりましたが、こんなところが妙に切なく、また読みたい気持ちにさせるのかもしれません。
男子にだけ独占させるにはもったいない、なんて思ったり。
この作品は、昨年亡くなったロバート・アルトマン監督が、エリオット・グールド主演で撮っています。細かいところを全く覚えてませんが、最初に猫が出てきて、マーロウがキャットフードを買いに行ったり(原作には猫は出てきませんが、チャンドラーは猫好きだったそう)、フラワーな感じのお姉さんたちが、フラワーに踊っている(って、分かりますか?)シーンだけは覚えています。
やるせない雰囲気が漂い、ぜひもう一度観てみたいと思っています。
そして、昔、寺山修司の詩集で出会った、オリジナルだと思っていた言葉に、こんなところで出会ってしまいました。
「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ。」
(実は、この言葉はチャンドラーのオリジナルでもなく、フランスの詩人の書いた詩が元だということです。このセリフの前に、「こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった。」とあります。)
この作品に再チャレンジしようと思ったのは、村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』が出版されると聞いたからなのです。最近はあまり読んでいないので、春樹ファンと言うのもおこがましいのですが、ご本人の小説と同じくらい翻訳ものも好きなので、清水訳と読み比べてみるのもいいかなって。
夫が単行本を買ったので、貸してもらおうっと。
それにしても、チャンドラーのポートレイト、すっごく意地悪そうな顔で写っているのが、なんとなくおかしいのです。春樹訳バージョンもおんなじ写真。もしかして作者が一番タフでハードなのかもしれません。
by weekendbooks
| 2007-03-13 19:33
| こころに残るもの(本)