『ディビザデロ通り』。 |

生まれてすぐに母を亡くした実の娘アンナ。
同じ日に生まれ、やはり母親を失ったクレア。
両親を殺された隣家の少年クープ。
2人を引き取り、娘と一緒に育てる寡黙なアンナの父。
この4人の擬似家族はある事件のために崩壊し、
3人の子どもたちはその後、別々の人生を歩み始める。
クレアは弁護士の調査員に、クープは天才的ないかさまカードプレイヤーに、
そしてアンナは、リュシアン・セグーラという作家の研究のためにフランスへ渡る。
アンナとクープ、クープとクレア、
2人を思いつつ、過去を断ち切るために自分自身を変えてしまったアンナ。
それぞれの物語は、絡まりながらもある程度まで綴られると、
ふっと虚空に消えてゆく。
続いて語られるのは、アンナの研究しているリュシアン・セグーラの物語。
あるいは昔、リュシアンの隣家にやって来たロマンとマリ=ネージュの物語。
あるいは少年時代をリュシアンとともに過ごしたアンナの恋人ラファエルの物語。
……
ああ、だからもう、あらすじを書こうとしてもうまくいかない!という、
ディビザデロ(境界線)のあわいをたゆたうような、
本当に不思議な読後感を持つこの小説。
詩のような、美しい言葉があふれるかたわらで、
暴力と性の生々しい描写もあり、
短い物語がコラージュのように重なり合うという構成に、
振り落とされまいと必死にしがみつくように、
途中からは流れに身を任せるように、
読み進んでいきました。
木漏れ日
森の中を走る川
古い鐘楼の上から見える何本もの茶色の小道
小鳥のさえずり
光
闇
暗く長い絶望
決して消えない希望
傷と痛み
柔らかい親密な愛情
「生きるということは、人を愛するということは、
その人の存在を自分のなかに抱えこむことなのかもしれない。
たとえ、現実の世界では二度と会うことがないとしても、
数十年の時を経て自分がかつての自分とは別人にしか見えない人間になってしまったとしても、
自分のなかにひそんでいる他人が消えてしまうことはない。
そうやって何人もの他人の存在を抱えながら、人間はこの現在を生きていくのだろう。」
(訳者あとがき)
いつもはっとする装丁の新潮社クレストブックス。
この写真、この背表紙の色、たまりません。
『ディビザデロ通り』 マイケル・オンダーチェ 村松潔 訳 新潮社